キトロロギストXの記録
激しく変化する昨今のもとで一生をカンキツ研究に捧げてきた老学者の独白を広く一般のカンキツ愛好家(キトロロマニア)に聞いていただきたくブログを開設しました。お閑な時にどうぞ目を通してください。
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クネンボの来た道
kunennbo庭園

 クネンボ(九年母)は、ウンシュウミカンに近い皮の剥けるマンダリンの一種です。さきごろ、紅葉見物に浜離宮恩賜公園を訪ねましたところ、園道にクネンボの果実が3個チョコンと展示してありました。そして、背後の黒松に寄り添って、豊かに実の着いたクネンボの木がありました。案内文には、8代将軍徳川吉宗のころ、1729年にベトナムから象を導入し、園内で飼育していた時に、クネンボを餌にしたとの記録があり、また、1791年には、11代将軍徳川家斉が、お茶屋で昼食にクネンボを食したとの記録が残っているとか。クネンボと浅からぬ縁があったことが、紹介してありました。
 
kunennboくねんぼ展示

 クネンボを象が食べたんだ?、動物は丸ごとカンキツ果実の食餌は難しいのだが、おなかは大丈夫だったかな、余計なことを考えながら、果実を手に取ってみました。クネンボを食べたヒトは、ほとんどないと思っていますが、いかがでしょう。原産地とされますインドシナ半島では、今でも栽培がみられますが、マレーで、Djerock djepoen 、Jeruk garut, Jeruk siam, タイで、Som kaeo, ベトナムで、Cam s'anhと同種異名で呼ばれています。アメリカには、1880年にカリフォルニア州リバーサイドに、ベトナム国サイゴンからKing of Siamの名で導入されました。耐暑性があり豊産性で、ネーブル大の皮の剥き易いマンダリンとして注目され、キングの名で栽培されました。しかし、日本からのウンシュウミカンの導入後は、キングの栽培はみられなくなりました。
 
kunennbo来た道
kunennbo果実
kunennbo種子

 クネンボの日本への伝来は古く、16世紀室町時代後半に伝播したようです。1848年の「桂園橘譜」(岡村尚謙)には、「阿部橘」として記載されていました。のちの文献には薩摩蜜柑とあり、沖縄では羽地(はねじ)蜜柑として栽培されていました。田中長三郎氏のクネンボ伝来の考証では、原産地とされるインドシナから南支を経て、琉球、薩摩と伝ったとされ、南支の浙江省あたりでは本地廣橘、沖縄でクニブ、鹿児島でクネブ、のちクネンボと訛言葉として定着したようです。明治以降は、ウンシュウミカンにより駆逐されましたが、それ以前は、小蜜柑、柑子とともに、九年母が日本の皮の剥ける最も大きなマンダリンとして、栽培されていました。

 クネンボは、ウンシュウミカンより多くの熱量を必要としますので、本来の大きさをした果実の生産が日本でできていたかどうか定かでありません。ウンシュウミカンと比べて、果皮が厚く、粗い果面で外見が悪い、果皮にテルペン油の臭いがあり、種が多く含まれているなど品質的に劣っています。また、ハンドリングで傷がつきやすく、輸送の困難な果実です。しかし、カリフォルニア大では、キングの大果で皮が剥き易い性質に注目して、交雑育種の片親に使われました。その結果、Kinnow, Wilking, Encoreなどの品種が作出されました。このうちのアンコール(Encore)は、日本の交雑品種「津之輝」の片親となっていますので、クネンボの血が継承されていることになります。

kunennbo-松

 クネンボが浜離宮で健全に生育しているのをみて、よく冬を幾度も越せたものと感心しました。そういえば、クネンボ、キングマンダリンの学名はCitrus nobilis といいますが、nobilisとは高貴なを意味します。1654年に東京湾を埋め立てて以来、代々の殿様や皇室に愛された庭園に植えられ、相応しい呼称の学名をもらったカンキツといえそうです。また、正門脇の都内最大級の「三百年の松」は、徳川家宣の手植えとされていますが、見ごたえのある樹姿をしていました。

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