キトロロギストXの記録
激しく変化する昨今のもとで一生をカンキツ研究に捧げてきた老学者の独白を広く一般のカンキツ愛好家(キトロロマニア)に聞いていただきたくブログを開設しました。お閑な時にどうぞ目を通してください。
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みかんの神様とお菓子の神様の小話
kitumikan-2伊勢神宮

 日本には神様がたくさんあられます。そして、神々を祭る神社は、現在でも8万1255社以上あるとされています(文化庁、2016)。日本で最も多い神社は八幡神社だそうで、応神天皇がその祭神となっておられます。ところで、みかんの神様とお菓子の神様が、同一人物の田道間守命(たじまもりのみこと)であることをご存知でしょうか。

kitumikan2田島守
kitumikan2垂仁天皇御陵2

 田道間守命については、以前ブログ (橘とゆかりの神社、仏閣; 11/10/18)で紹介しましたように、日本の古典の古事記(712)に多遅麻毛理、日本書紀(720)に田道間守の名で登場した人物です。記紀によりますと、田道さんは、垂仁天皇の命を受けて、常世の国に不老長寿の薬の探索に出かけ、西暦61年から西暦70年まで外遊ののち、ときじくのかぐのこのみ(非時香果)という橘を、苗木にして持ち帰ったとあります。しかし、帰朝した時には、天皇はすでに崩御されていたので、田島さんは天皇を追って自害したという、悲しい故事となっています。
 この銘勳は、天皇の子景行天皇に称えられ、陵墓に奉って、香菓号として田道間名(たちまな)としました.このいきさつが、のちの人々の称えるところとなり、橘(みかん)の祭神として崇められました。実際に、奈良に出かけて彼の縁を訪ねますと、田道さんの命塚が、奈良市尼辻町西池中の垂仁天皇の宝来山古墳の濠に、小島としてぽつんと浮かんでいました。

kitumikan23神社

 和歌山県海南市下津町にある橘本神社は、田道間守命を祭神としていて、田道さんの橘を保存してきたという古い創建の神社です。最近は、柑橘を加工したお菓子とのかかわりで、お菓子の神様を祭る神社となっています。4月第1日曜日には、菓子祭が行われています。

 兵庫県豊岡市三宅にある中嶋神社は、田道間守命を神祖としていて、お菓子の神様を祭る社で、社名の中嶋は垂仁古墳の小島からとったとのことです。創建は606年と古く、田道さん(帰化人)の子孫の三宅吉士の手によるとされています。立派な本殿は、室町中期(1428年)に建立されました。お菓子の祭りとして、4月第3日曜日に橘花祭がもようされます。
 岡山県の中嶋神社、道後温泉の中嶋神社、大宰府の中嶋神社、佐賀県伊万里の中嶋神社など同名の神社は、すべてお菓子の神社で、豊岡の中嶋神社からの分社のようです。菓祖神を祭る京都の吉田神社は、中嶋神社と橘本神社の分祀社となっているようです。お菓子グルメのヒトは、一度は訪ねたい神社です。

kitumikan2和妙抄

 菓子(子は種たねのこと)は和製文字でした。草冠の無い果子は、漢でも大和でも果実を指しました。果子から菓子への変選の歴史は、平安時代に編纂された「新撰字鏡」(812-892編纂)や「和名抄」(931-938編纂)などの漢和辞典に遡ります。これらは、中国最古の漢字辞典である「爾雅」(紀元前200年ごろ編纂::秦の始皇帝が漢字を全国統一したのは紀元前300年ごろと言われています)などにある漢語を、万葉仮名で倭語(日本語)に翻訳したものが多いようで、漢籍の引用が示されています。
 爾雅の木の部に、梅、柚、條、梨、枳殻などの文字で果樹がありますが、新撰字鏡では、木の部が設けてあり、例えば枳が木實成、云加良立花(枳は木の実なり、からたち花という)などと万葉仮名で対釈解説されています。和名抄では、菓類(果を菓にして)の部で、菓類は俗云久太毛乃(菓類は普通くだものという)とあり、菓類が、梨子、栗子、杏子、桃子などに分けて説明されています。したがって、古代においては、菓子は、木の実のくだものだったわけです。
 「源氏物語」(1008年ごろ)では、源氏の君が玉鬘にくだものを送ったくだりがあり、平安の頃は贈答品として果物が多かったと思われます。
 
kitumikan2源氏物語
kitumikan2お供え物

 今日でいう粉を使ったお菓子は、果物を本菓子に対して、唐菓子として区別していたことが、平安初期の「延喜式」(905-927)に記されています。菓類の中に、果物とお菓子は同籍していました。一方、とても不思議ですが、爾雅には、今日のようなお菓子は糕(ガオ)とあり、おやつは点心(ジャンシン)となっていて、果子とは全く別項目でした。日本では、中世、近世と時代が下るにつれて、菓子類の製造や洋菓子等の輸入が増えるにつれて、菓子の中から果物がいつのまにかはずされるようになったようです。
 持論として、古代においては、大和で果物とお菓子を同類としたのは、神道のお供え物として同一視していたからではないかと、考えていますがいかがでしょう。
 奈良の飛鳥村の橘寺は、聖徳太子の造成3寺社の一つとされていますが、神様となられた田道さんを祭ってありました。そして、橘とともに黒砂糖を持ち帰ったとして、田道さんがお菓子の伝道者となっておられます。たしかに、お菓子も橘とともに持ってきたからだとする考えもできそうですが、記紀には記述はありません。やはり、お菓子の神様は、果物の神様と同一人物とみたほうが正論のようです。


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